すっかり

文章を書くのも久しぶりとなってしまっていた。この間何をしていたかと言うと、そんなに何もしていません。

何もしていなかった中で、なんかしたこと

会社員であることの損得勘定をして、いっそ完全在宅でできるWEB系のバイトしたほうがいいんじゃないかと思い、実行するかは別として選択肢は持っておこうか、と自分なりに結論。んで新たに勉強を始めて、現実と理想を行き来しながら悩んだり悩まなかったり課題に追われております。

理想は完全在宅で、生活に困らない程度に稼ぐことができ、そしてなおかつ時間に追われない生活。そして現実は、同じようなことを考えて同じ分野で活動しようとしている人めっちゃいる――――…!ということ。私を含むそういう人たちよりも以前に、プロでやっている人もごまんといるので、まあ… 現実は甘くないっすよ…

と、勉強中でしかないのに(業界に飛び込んで仕事をし始めたわけでもないのに)、こういう理想と現実をうろうろして吐き気を催しております。げろげろ。

そう、その勉強を始めたのが11月頭。

年末年始は帰省をせず、正月休みがないと言っても過言ではない私は普通に仕事したり、暗黒企業戦士の岡田くんは日々を取り返すかのように寝ていました。(岡田くんは日々始発終電で通勤、何を食べているのかわかりませんし、見たいテレビもみられない、みたいな生活をしています。理解できん。)そんなわけでお互いマイペースに過ごしておりました。

 

ついに私も

最近ですが、ついに、ですね…。

コロナになってしまいました…。

5類に移行してからといっても私は外出時は絶対にマスク着用、入店前のアルコール消毒、日々のうがい手洗いはやっていたつもりだったんですがね…。かかるときはかかる。

思い当たるのは友人と都心で会ってカフェでお茶したときかな、という感じですが、その友人は体調を崩していないようです。無事で何より。

岡田くんも奇跡的に無事でした。よかった~…。

 

寝室を分けることができない自宅では、次のことを実施しておりました。

・就寝時は部屋のドアを解放

・鼻や口を触ったら即手洗い

・使用したテーブルやドアノブは除菌シート

ティッシュや使用済みマスクのごみはほかのごみと分けてビニール袋に密封

・歯磨き粉は共有しているので、化粧品のテスターをとるように手の甲に出してから歯ブラシにつける

・岡田くんの帰宅前には換気を十分に行う

 

これをしたから感染しなかったというより、岡田くんが無症状ですでに抗体を持っていた可能性もあるし、すこぶる健康な男だということが証明されただけのような気もする。なのでコロナを経験して思ったのは、かかるときはかかるし、かからない人はかからない、ということなのでした。

以上、最近のことでした。

 

読んだ本など

メインテーマは殺人

その裁きは死

(アンソニーホロヴィッツ

 

メインテーマは殺人 ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ (創元推理文庫)その裁きは死 ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ (創元推理文庫)

シャーロックホームズ的な凸凹コンビの推理小説。面白かったので今度読書感想文にしたい。

 

綴る女林真理子

綴る女-評伝・宮尾登美子 (単行本)

作家宮尾登美子のことを知っているなら興味深いと思う。(知らなかったので以下略)林さんの文章を読むのは初めてだったが、おばちゃんの世間話を聞いているみたいな感覚だった。宮尾さんをリスペクトするだけでなくちゃんとダメな部分は一人の人間としてディスってて、「いや悪い意味じゃなくて」みたいな無理のあるフォローしているな…という部分に苦笑。

 

盤上の向日葵(上)(下) (柚月裕子

盤上の向日葵(上) (中公文庫)盤上の向日葵(下) (中公文庫)

 

孤狼の血」と同じ作者の作品。将棋にまつわる事件。上下巻だがさらっと読める。解説が羽生善治さんなのが熱い。柚月先生の描くクズは際限なくクズだな…。これも感想文を書きたい。

 

終わりに

今年はいろいろ変えたいな。変わるかな。どうかな。男かな。女かな。(ああしらき)

ぐるぐる回るよ思案はめぐる。けれど1月から思い知らされた。チャンスをつかむのに最後に必要なのは、実力でも努力でもない。健康である。

平穏な日々に感謝。健康に感謝。岡田くんに感謝。

2024、自分なりにがんばるんば。

隠されたロマン

「ショートカットにしたいって言ったら旦那さん、何か言わない?」

今の美容院に通い始めて1年くらいになる。腕の確かなイケオジな美容師さんは、私の言語化できないオーダーを適度にくみ取り、一番の要望である「いい感じ」に仕上げてくれる。店内のBGMも決してジンギスカン等流さないセンスのよさだ。(※元ネタは過去記事参照のこと 祈りのポーズ - じゆうちょうの反省文 )

ウェディングフォトの撮影が終わったらバッサリ切ってショートカットにしたい。それだけを楽しみに、髪を切らず、すくこともせず、真夏の暑さを耐え抜いた。(ちなみに夏は頭皮からの汗が尋常じゃなかった。このころは自転車通勤をしていたのだが、頭からの汗が目にしみて大変だった。)

写真撮影まであと1か月というところで、撮影でしたいヘアスタイルを相談しながらメンテナンスをしてもらった。ウェディングフォトが終わったらがっつり行きたいのでよろしくと伝えると、ショートカットにすることについて私の夫が何も言ってこないか尋ねてきた。

妻及び彼女のヘアスタイルについて、自身の希望・理想を押し付ける殿方が少なくない。と言うのは嘘だと思う。むしろ逆だ。夫及び彼氏の理想とする女性に少しでも近づきたくて、せめて髪型だけでもそれに寄せたい、という古風な女性が多いだけだ。統計も何もないただの実感としてだが。(というか相手の好みの見た目にすると喜んでもらえるからそうしちゃおっかな~みたいな感情は男女ともにあると思う。かわいいね。)

私の夫は全くそういうことを言ってこない。なんかそういうのないの、私にやってほしいヘアスタイルとか、と聞いたことはある。「無い」と即答だった。無いんか~い、即答か~いと思ったが、「あなたがご機嫌でいられるならなんでもいいのよ…」という菩薩回答だった。

新しいブラを買った。いつもネットで一か八かのギャンブルみたいにしてサイズを選んで買っていたのだが、久しぶりに本当のサイズを知りたいと思ったのだ。ネットで買ったブラがなんとなく合っていないのは感じていて、でもそれは私の胸のサイズがブラに対して大なのか小なのかが判然としなかったからだ。

ランジェリーショップでちゃんと試着をし、ジャストサイズのものを選んだ。やっぱりジャストサイズは着心地がいい。不快感があるのは無意識にストレスになっている。こういうところからストレスを排除するのは大切だ。ランジェリーショップの店員さんに、ブラとおそろいのデザインのショーツを勧められたが、断ってブラだけ買った。

ブラとおそろいのショーツを買わなくなって久しい。テロテロ、スベスベの生地感が好きでないのだ。ショーツという表記よりも、パンツの方がしっくりくるし、妙に手の上でキョロキョロとする手触りで新種の軟体生物とも思えるそれより、綿100パーセント!しっかり生地感!肌に優しい!というのが手から伝わるパンツの方が好きなのだ。だから私はいつも無印良品一択です。何の情報。

夫が洗濯をたたんでいるところにちょうど私のおニューのブラがあったので、「こちらおニューでございますことよ」と教えてあげた。逆セクハラのような自己申告に夫も疲弊しているかと思われた。が、意外にもこんなことを言ってきた。

「…パンツは買わなかったんでしょ?」

何だその反応。あれ、もしかして、なに、ブラとセットで着てほしいのか。無論買わなかったと答えたが、内心ちょっと複雑だった。髪型については「あなたがご機嫌でいられるならなんでもいい」と言ってくれたのに、下着に関してはセットの方がいいというのか。結婚して初めて気が付いた。そうか、そうなのか。おニューのブラを畳まれた私の衣服の山に載せる夫は、少し寂しそうにも見えたような、そうでもなかったような。

まぁ、何を言われようとパンツは無印良品一択に変わりないのだが。

通勤読書感想文「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

日本人の母(著者)とアイルランド人の父の間に生まれた息子。そんな息子というフィルターを通して考える、イギリスで直面するレイシズムジェンダー、格差、貧困、教育、EU離脱。息子は考え成長する。

息子とこんなに対等に話せるようになったら確かに楽しいだろうな、と少しうらやましさすら感じる。

決してふざけた内容では無いが、軽やかな文、というか途中ルー語かなとも思える書き味はとても読みやすく、4~5時間あれば読了可能かと。

小学校・中学校の制度からまず違う。ハイクラスな家庭の子が集まるようなカトリックの小学校から、地元の元底辺中学校に進学を決めたあたりからこの親子、もう面白い。

街を歩いているだけで東洋人への差別用語を投げかけられることがある。シングルマザーの貧困家庭で荒れた兄を持ち、ボロボロの制服を買いかえることなんてできずいつもお腹を空かせる友人がいる。中国から移住してきた生徒会長もいる。移民がたくさんいる教室内で、同じく移民であるハンガリー人の友人が強烈なレイシズムをのたまって、クラスメートたちから浮きまくる。(そんな彼と一緒に映画ボヘミアンラプソディーを見に行ったという話が好きだ。)

とにかく息子の周りはいろいろだ。面白いことばかりじゃない。それは日本とは種類の違うシビアさがあって、渦中にいるのがつらいこともあると思う。著者の息子さんがすごいのが、誰にでもフラットでいようと努めているのがわかること。冷静に分析しようとしていること。それでもわからないことは母親に相談すること。(父親は熱いため面倒だから相談相手に選ばれていない感じがいい)

著者がかつて保育士だったころの、バイオレンスな女児リアーナを思い出す章はセンチメンタルになった。いろいろな背景を持ち里親に出され、温かい家庭に出会える子供、そうではなくて定期的に里親が変わる子供。イギリスのそういう事情も、この本から知ることができた。

この本は「のほほんとした海外生活」をまとめた本じゃなくて、それよりももっとずっとリアルなイギリスの「生活」。だってEU離脱が、その角度で?みたいなところで国民生活に関わってるなんて思いもしなかった。

またこの本は著者による息子の、かけがえのない成長の日々の記録。バンドを組んで作った歌が、祖父の盆栽をテーマにしたロックソングだなんて、最高に愛おしいじゃないか。

学びも多く、はっとする一冊。ボーっと生きてたわ私、と、つり革を掴みながら気づかされたのでした。

試読みはこちら。↓

www.shinchosha.co.jp

通勤読書感想文「孤狼の血」

一ページ目から思った。この本は朝7時前の電車に乗って読む本としてどうなのか、と。

むちゃハードボイルドである。

 

時は昭和末期、場所は広島。

長編警察小説、と称されているがこういうのは表裏一体ですね。ヤクザ映画ならぬヤクザ小説だと言っても過言ではない。

大上(おおがみ)というベテラン刑事と、日岡(ひおか)という新人刑事がコンビとなって繰り広げる2か月未満の物語。2か月未満でこの濃さよ。

二人が所属するのはマル暴、つまり暴力団係。大上は警察として表彰されることも多い一方、問題児と言われるようなトラブルやらなにやら、陰にきな臭い諸々もある人物で、無茶苦茶で横暴。私が刑事だったら絶対に下につきたくない上司。通報されてもおかしくないようなふるまいや、暴力団とのやり取り。こんなの現代だったらやれハラスメントだ、やれ証拠のドライブレコーダーだ、などと言われて小説が始まらないだろう。舞台が昭和じゃないと成立しない。登場人物のセリフは広島弁で、文字ではあるが迫力がある。非日常・異世界を味わわせてくれるこの小説は、朝夕の通勤ラッシュの電車内で読むには、現実逃避にぴったりなのかもしれない。

小説の半分くらいまでは単調というか、天気で言うと無風の曇り。あちこちで抗争となりかねない火花が散っているけれど、さほど大きくは動かない。動くのは後半以降。そっからはいろいろあります。神よ、どうかこの人たちに睡眠時間を与えたまえ、とか思っちゃう。

ちょっと微妙だったのが人物の名前。クセのある読み方のやつばっかりで、柚月先生!!私は覚えることができません!!と白旗を揚げたくなった。読めなくて読めなくて、覚えられなくて覚えられなくて、ストーリーと関係無しに半べそ。高校時代、世界史のアルキメデスまでで脳内メモリがいっぱいになっていた私のような人は苦戦するでしょう。「五十子会」で「いらこかい」とかね、あとちょっとで読み終わるという頃にようやく読めるようになりました。30代の漢字力の弱さなめんな。(?)

でも確かに、暴力団の名前が読みやすいと迫力に欠けますよね。鈴木、渡辺、田中、佐藤とかより、やっぱりそうね…、一ノ瀬、瀧井、尾谷、上早稲の方が、たしかにね…。かっこいい。なめんな、とか言って世界観に反抗しようとしてすみませんでした。

物語後半から話はどんどん進む。停滞していたものが動き出す。あっちの輩が吠えたと思ったら今度はこっちで鉄砲鳴らしてますがな。そしたら今度はそっちで死体を掘り起こすんですか、と。神よ、善良な市民たちに安寧な日々を…、と祈ってしまうほど治安悪い。読み終わる頃にはどっと疲れている。

しかし面白かったのは最後の最後。そういうことでしたか!と、気づかないうちに張り巡らされていた伏線が、腹におちる。あー!そう!へー!そうなの!?興奮を覚えました。爽快感すらあります。タイトルもまたそのひとつ。孤狼って何?血が何?と思ってた。正解かどうかはわからないけど、ダジャレ好きな人はすぐにピンときたんじゃないかな。多分だけど、「孤狼」って、「狼(おおかみ)」って、「大上(おおがみ)」だよね?多かれ少なかれ、同じ見解の人がいてくれたらありがたい。

本を盾にして。

週3の完全在宅勤務を手にした私は、それと引き換えに週2のドアツードア片道2時間~満員電車に乗って~という地獄の通勤を余儀なくされたのだった。(了)

(了)じゃない。まだ終わらない。始まったばかりだ。

満員電車に乗っているのは実質合計1.5時間あるかないかだが、まー地獄だ。運よくすぐに座れたらまだマシだが、座れない。目の前20センチ先に、顔の右15センチ先に、背中0センチの距離に、人のカバン・スマホ・背中。背中と背中がくっついちゃったときは悟りを開けそうになりました。満員電車で解脱(ニルヴァーナ)。人生って、どこで何が起きるかわからない。

満員電車isカオス。しかも無駄に長い。カオスで長い片道2時間の通勤によって失ったものは多く、それを数えるとなかなか切なくなる。通勤がなければゆっくり起きて、しっかりごはんを食べ、がっつりトイレに行けたのに。だらだらテレビを見て、朝食に使った食器もきれいに洗って、洗濯物も干せたのに。

全てから丁寧さを欠き、時にトイレに行けず、朝ごはんも適当になる。グッバイ丁寧な暮らし。もともと丁寧に暮らしてはいないけど、それでも今よりかはマシだった。畜生、片道2時間。私は転勤無しの雇用条件のもと入社したというのに。(勤務地だった事務所をぶっ潰し、都内の本社に統合されたのだ。)会社畜生。通勤畜生。全部畜生。

もはや畜生マンである。通勤は他の生活面の全てに響く。週2とは言え、そんなのどうなるかわからない。週5になるかもしれない。だって会社員だから。畜生。会社畜生。

会社に対しても不満も募り、通勤電車でのストレスもたまり、実際問題体力的にもきつくって、この両距離の通勤が始まって2週連続風邪をひいた。2週目はウィルス性胃腸炎だった。降りたこともない駅に降りてトイレに駆け込んだりしながら帰った。いいことがない。長距離通勤、メリットが全くもって、ない。恨み節だよ、通勤は。ストレスフルだよ、通勤は。

通勤中のストレスから少しでも逃れるために、最近は適当に本を読み漁っている。何年か前に前職のパートのお姉さまから突然頂いた本だ。読み終わったからと言っていたが、なんと本は10冊以上。全てがほとんど新品で、どれも発売されてから1年以内のものばかりだった。なぜそんなにたくさんの本を私にくれたのかわからないが、ありがたくいただいて、ゆっくり自宅で寝かせていた。つまりは手を付けていなかった。

それがこの畜生通勤のおかげでついに日の目を見ることになった。週2日×2週間で1~2冊読んでいる。人生でかつてこれまでハイペースに本を読んだことがあっただろうか。(もともと私は本を読むペースが速い方ではない。)ありがとうございました、前職のお姉さま。通勤の苦痛から逃れられています。今の私が心の底から畜生マンにならずに済んでいるのは、本をいただいたおかげです。ストレスフル通勤から逃れられるからか、自分で選ぶことが無かったであろう本がどんどん読める。文庫でも新書でもソフトカバーでもハードカバーでも、なんでも読める。(ハードカバーは重いが、満員電車で本越しに人様のお顔を感じずに済むので、私は結構気に入っている)

本当に何でも文字を追いかけることができる。文字を追いかけるだけになって全然頭に入ってこないことも多々あるが。林真理子の登場人物が多すぎるハードカバーのエッセイは特にそう。誰が誰だかわからないまま突っ走って、まもなくそのままゴールしそうだ。読後の感想はきっとこれ。そういえばあの人誰だったんだろう。

恨み節だよ、通勤は。ストレスフルだよ、通勤は。

とりあえず今は、本を盾にして戦ってる。戦っているのだ。畜生!

手紙~拝啓 顔合わせの両親へ~

両親に向けて手紙を書くというミッションがある。締め切りは2週間後。

結婚は家同士のもの、とは昔から言われている言葉ではあるが、確かにそうだなと思うことがある。何かしらのイベントごとには、そこに参加する全員のスケジュールを調整しなくてはならない。さらにそれぞれが遠方に住んでいる場合は開催地はどこにするか、交通手段はどうするのか、など考えることがどんどん増えていく。二人だけではこうはいかない。家同士。人数が増えれば増えるだけ決定事項が増えていく。

結婚の教科書ゼクシィに書いてある通り、結婚が決まったらそれぞれの両親に挨拶に行って、両家顔合わせをして、結婚指輪の購入、婚姻届けの提出、挙式をして~、などと諸々順序を守ってると一生入籍できない気がしてしまった。気が遠くなる。一つ一つ丁寧にやっていく場合とそうでない場合で、何か決定的な差はあるのか。前者にアドバンテージがあるなんて聞いたことがない。順番どうこう言ってる間に結婚できるならそのときしとけばよくなぁい?時間が経てば経つほどどうでもよくなる。半ばやけくそ。

幸いにして両家ともに順番が大事だとか言ってくるような、形式や伝統を重んじるような人がいなかった。いたのかもしれないが、そんな声は上がってこなかった。

と言うことで、先に結婚した。しといてよかった。していなかったらこの精神的な安定は無かったと思う。

入籍して4か月経ってようやく、先延ばしにしていた両家顔合わせの食事会を行う。

一応、新郎側の両親が新婦の方を訪れて結婚の挨拶をするべき、なんて世間的な何かはあるらしく、夫の父は気にしてはいたようだが、旅行がしたい私の両親が夫の地元に赴いて開催することになった。私の両親は旅行ができるし、夫の両親は地元だから楽だし、それでいい。良しとしてくれ。

結婚式をしないので、顔合わせではあるが結婚のお祝いの席という位置づけにした。結婚式ではないけれど、ちょっとそれっぽいパーティーみたいにしたい。写真を撮って、コース料理で、大きいケーキを切って、互いの親に向けた手紙を添えて記念品贈呈。親同士が初対面にも関わらず、そんな企てがダダ滑りに終わらないかと言うことだけが一抹の不安ではある。

親に向けての手紙。グーグルで検索すればよく結婚式で聞くようなテンプレートが出てくる。前置き、父母それぞれとのエピソード。これからの決意で締める。こんな感じ。「お母さん。お母さんは、私が学生の頃から学校での出来事や悩みなど、何でも話せる親友みたいな存在です。」みたいな。「お父さん。お父さんは仕事で疲れているにもかかわらず、休みの日には私たちきょうだいをよく色々なところへ連れて行ってくれました。」的な。

こじらせ30代の私だけでしょうか。両親と自分にフォーカスした記憶で、これがありがたかったとかいう特別なエピソードがパッと出てこない。きっと、絶対あるはずなのだ。けれども記憶力の低下と言うか、記憶の引き出しが開かないというか、どこにその記憶があるんだっけと、しまった場所を忘れた。日々家事に追われ、帰宅してから一番効率のいい炊事洗濯の動線を計算しながら生活していると、記憶の蓋は重くさび付きどこに置いたか忘れてしまうのだなぁ。う~んしみじみ。

しみじみしている場合ではない。あと2週間で清書まで仕上げなくてはならない。

「お父さんお母さん、今日までの約33年間、育ててくれてありがとう。私たちきょうだいがやりたいことを自由にできるように、毎日忙しく共働きで家族を支えてくれましたね。私も家事に積極的に参加したつもり。覚えていますか?雪の積もる冬の早朝、中学生の私はまだ誰も起きてこない朝5時前に起きて愛犬たちの散歩に行きました。帰ってきたら洗濯を干してから学校へ行きました。学校から帰ってきたらまた犬の散歩に行って、夕食をテーブルに並べて、すぐに食べられるように準備していました。」

 

いやいやいやいや、自分語りすぎる。

 

「お父さんは一時期、土日の昼ご飯づくりをしてくれていましたね。いつも麺類でした。実は私は家で食べる麺類がそこまで好きではありませんでした。当時喜ばなくてごめん。」

 

いやいやいやいや、今更のカミングアウト。

手紙、むずい。最悪、チャットGPTにヒントをもらうこともできる。なんなら代筆も頼める時代。いやさすがにそれはしないけど。

しないけど。

 

 

ドビー(32歳)は悪い子

言語化のリハビリ2であります。

 

小学2年生のとき生活科という科目の一環で、自分が生まれたときのことを親にインタビューしてまとめてファイルを作りましょう、という授業があった。「自分がどれだけ愛されて・望まれて生まれてきたのか」「親はあなたを昔も今もこれからも大切におもってる」ということを親子ともども実感できるであろう、非常にLOVEエンダァPEACEな授業だった。

このとき、とても不思議なのですが、私は「生まれてきて親に多大なる迷惑をかけてきた」とメンタル激へこみを発症。ドビーのごとく「私は悪い子!私は悪い子!」と自分を心の中でおしおきしていた。なぁぜなぁぜ案件です。今でも理由はわかりません。親に生まれてきてごめんと思っていました。CHU、じゃないやつ。

生後0~2歳の話を親にインタビューしては「人見知りが多い子だった」とか「よく泣いた」とか、赤子における自然の摂理・健康的な成長の証たるその情報に、落ち込みよく一人でこっそり泣いていた。(あと提出物の期限を間違えていて、とある回(1コマ)で何もできなくてそれもまたマジメな私はショックだった記憶がある)

この授業の頃、私は転校したばかりだったこともあり心細かったのかもしれない。我が家は平凡で、ただし子供(特に第二子の私)に対して結構雑だったと思うけど、当時の一般家庭のレベルの範囲内だったろうし(知らんけど)(雑だったあまり、自分には愛が無いと感じなくもないと思うタイミングはいくらでもあったと思うけど)(すべてが今更どうでもいい。)無事に成長することができたわけです。そこには感謝。※今更すぎることに中年に差し掛かった今現在でもグチグチ言ってる自分の気分が悪いので、無理矢理にでも謝辞を述べておきます。※めっちゃこじらせてる自覚はものすごくある。

 

そんなことはどうでもいい。疑問なのは、なんであの時、自分が生まれて間もないころの話を聞いて悲しくなったのだろうか、ということ。タイムマシンで当時の私に会えたなら、小学2年生でしょう?全小2には無邪気に笑っててほしいよ…。と抱きしめてやりたい。

さてさて。しかし。

25年後の現在このことを思い出していましたら、またも悲しい気持ちになってきました!なぁぜなぁぜ!え?生理前のメンタル崩壊しょうか。いやそれは微妙にまだもうちょい先だな…前世とか関係あるのでしょうか。それならとても興味深い。魂レベルで「CHU、生まれてきてごめん」と思うような後悔がいっぱいの話だったのかもしれない。

私のインナーチャイルドが、かれこれ4半世紀以上、生まれてきたことを悲しんでいるみたいで、なんだかなぁと思う。生まれてしまったことはどうしようもないので、もっと楽しく生きる方を選んでいいのに。我ながら。思うのです。

まー夏の炎天下の中、楽しいことって言ってもね…ってかんじですが。