棒読みのお幸せに

軽い気持ちで無駄な行動をしてしまった。世界一無駄な行動だ。愚行とも言える。

昔の恋人のSNSを見てしまった。

なんとめでたいかな。お子さんが誕生したそうだった。


5年もあれば人は誰かと巡り合い家族を構成できるのね。素晴らしい。お幸せに。さて洗濯物でも畳みましょ、

だなんて。
私はそんなにできがよくない。淡々と、次の行動に移れない。

「お幸せに」と、そこまでで気持ちを堅く結んで、心静かに相手の幸せを願うだけで終われない。

「こどもが生まれた」と、その文字の威力で、衝撃で、言葉じゃ表現できない感情が喉の奥に迫ってくる。「あーそっかー」と棒読みで済ませるので精一杯だ。

嘘だ。それすら無理だった。


ほんの短い、3秒以内に一巡した。

まずは普通に、くそ、と思った。悪態をついた。そのコンマ1秒後、赤ちゃんかわいかろうな、と思いをめぐらせる。

それからゆっくり、あーそっかーを経由して、お幸せに、と帰結した。

付き合っていたとき、長く一緒にいられたらいいなと願ったこともあったけれど、「私はこの人と結婚はできないな」と思っていたので、今 彼に子供が生まれた事実に対して悔しいとか、黒い感情は無い。

むしろ彼は人生を進めたのかと、置いていかれた気持ちになった。

子供が生まれたという言葉の後に「自分みたいにはなってほしくない」と続けるような、どこまでもどこまでも暗くて自己愛に満ちた救いようのない彼にすら、置いていかれたのかと。

あーそっかー。と。


それからはセルフ禅問答。

人生を進めるとはなんだ。
結婚や出産を経て家族を得ることか。
それをしない人間は人生を進めていないのか。

答えよ。


人生を進めるとは、どんなに地獄のようなこの世でも自分で生きるのを止めることをせず、毎日努めて生活することです。
結婚や出産は、ごはんの量みたいなものです。人それぞれちょうどいい量は違います。
結婚や出産だけで測られる人生ならばすでに私は辞退しています。


置いていかれたって思ったけど、そうだそうだ。そもそも私と彼は同じ場所にいない。


彼は子供にミルクを飲ませるのだろうか。おむつをかえてやるのだろう。

私はコーヒーを飲みながら持ち帰りの仕事をやって、インスタで柴犬の写真を眺める。


昔の恋人のおめでたい話に、一瞬悪態をつくくらい許してほしい。それくらい好きだったのだ。


しかし当時に限る。(←ここ笑うところ)