正しいカレー
のだめカンタービレのパリ編で、主人公のだめは同じアパルトマンに住む友人たちにカレーを振る舞う。しかしそれはダークマター。食べたターニャはお腹を壊し、その後ダイエットを成功させる。なにこれ。
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最近久しぶりにカレーを作った。
自分ではあまり作らない。カレーだけで鍋一つ占領されてしまうし、冷蔵庫に移動するにも鍋ごと入れるしかなく、するとそこもまた占領される。なんならお店のカレーが美味しい。
となると、結果なかなか作らない。
前回の作り置きで残った材料が豚肉とニンジンだった。あと玉ねぎとジャガイモでカレーじゃないかと思いつき、ああそういえば最近食べてないなと気がつく。そういうわけで、久しぶりにカレーを作ることにした。
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実家暮らしのとき、母がやたらとカレーを作っていた時期がある。
母親のカレーは、好きじゃない。
オリジナリティあふれるそのカレーは味の計算が暗算で、まぁ要するに適当なのだ。煮込んでルウを入れればなんでもカレーになるでしょ、という精神。
まるごとトマトカレーは、トマト自体の味が薄かった上にルウが全然足りず、カレー未満の水っぽいスープだった。
玉ねぎすりおろしカレーも、問いただしたらひき肉以外全ての具材をすりおろしたらしく、具材が全て概念となってしまっていた。存在しているが存在していない、そんな哲学がそこにあった。
基本的に、食事を作ってくださる方への敬意とマナーとして、出されたものに文句は言わない。そして全て完食する。
しかし成長期の学生だった私は「正しいカレーが食べたいです」と、スラムダンクの安西先生に懇願する三井よろしく泣き崩れた。嘘だ。
そんなこんなで母親のカレーは好きじゃなかった。
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作ろう普通のカレー。ベーシックで無個性なカレー。正しいカレー。ごろっとしていて食べ応えのあるカレー。
スーパーで「カレーを作ります!」と宣言せんとばかりのカゴ。いいぞ、この感じ。誰がどう見ても今日はカレーという材料。カレー作りへの気概を感じるではないか。
缶のカットトマトの半端があったからそれも一緒に入れよう。グルタミン酸で旨味の相乗効果ってやつだ。
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ひとしきり煮込んでルウを投入。ほほほ、いい感じで煮込まれているではないか。具材はゴロゴロとして存在感がある。
溶けてきたルウを全体に行き渡らせるため、ぐるりとひと混ぜ。そのとたん。
初日のカレーとは思えない、いやルウ投入後10秒とは到底信じがたいとろみが現れた。
え?
もしかして、と思いジャガイモが入っていた袋を見る。
愕然とした。私としたことが。
メークインじゃなかったんかワレ……
溶け出した男爵いものデンプンの強さよ。お玉にすくって逆さまにしても落ちない強さ、男性だったらFall in Love。やかましい。
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湯を足せー!ルウを足せー!
湯を足せー!もっとだーー!
とろみが消えぬぞ、これでは正しいカレーにならぬぞー!
私の中の武将が猛々しく指示を出す。
お湯を足す。混ぜる。ルウを足す。
お湯を足す。混ぜる。またお湯を足す。
出来上がったのは合宿所レベルのカレー。何人前よこれ。
これ以上増えても入れ物がない。許容範囲までゆるませたら諦めて一口味見する。トマトの主張の強さ。これからのグローバル社会だったら必要な力ね。やかましい。まわりと馴染んでくれ、味よ一体化してくれ…
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のだめカンタービレのパリ編で、主人公のだめは微笑みながら言う。「正しいカレーなんてないのに」。
確かにそうかもしれない。正しいカレーと言うのは、その時に食べたい理想のカレーなだけかもしれない。
いずれにせよ、理想のカレーまでの道のりと、現実目の前のカレーを食べ終わるまでの道のりは、目が眩むほど遠い。