オーストラリアでホームステイ5.張さん

大学2年生のとき、1ヶ月間だけオーストラリアでの留学プログラムに参加した。
ホストマザーはマザーというよりパンクな魔女で、タスマニア出身のため私の英語力では聞き取れない。
オーストラリアの食にも失望しかけていたホームステイ初日、彼と出会う。


姐さん(ホストマザー)と甘ったるいバナナケーキを食べていたとき、玄関のドアが開いた。

「I'm home! やれやれ、今日は大変だったよ。あれ?その子は?」
テンションの高い登場である。なにこのホームコメディー感。(本当にこんな感じだった)

姐さんから簡単に紹介されると、
「Hi!僕はアレックス。よろしく!」
と、絵に描いたようなご機嫌な自己紹介をされた。

テンションが高い彼はアレックス。4歳年上で、国籍は中国。
トレンディー俳優かなんかのノリである。

アレックスは彼のイングリッシュネームとかいうやつで、日本では馴染みがないが英語圏用のニックネームみたいなもの。
アジア圏の人たちは結構みんな持っているらしい。
ちなみに本名は張さん。
私は恥ずかしくて当時一度もアレックスと呼んだことがない。だって、張さんはアレックスじゃなかったから(見た目が)。

張さんはテンションが高くてトレンディで、リアクションが大きい。爽やかでいつも笑顔で考えていることがわかりやすく、素晴らしい人だった。

初対面のときの定型文挨拶を終え、大げさな握手をした。
姐さんが席をはずした瞬間、彼は声を潜めて私に聞いてきた。

張「中国語、話せる?」
チートである。

話せないことを伝えると、張さんは心底残念そうな顔をした。
その場面を目ざとくも目撃していた姐さんは、複数人を同時に受け入れる場合、母国語で話さないように学生の出身国がかぶらないようにしていると説明した。
張さんはぐうの音も出ないようだった。

しばらくして、姐さんは本業である看護士の仕事に向かった。その日は夜勤だったらしい。
出掛ける前、姐さんは手書きのメモをわたしと張さんに預けた。最寄のバス停の位置を記した地図とのことだ。
学校に通うにはバス通学となるらしく、事前にバス停の位置を確認しておけ、ということで、張さんと私はメモを片手に出掛けた。

メモは、何本かの線が交差しているのと、丸が書かれているだけで、その他に「home」の文字だけ。
線は道路で、丸がバス停だと推測される。
ゴールデンカムイの囚人の入れ墨の方が地図らしさがあるほど、シンプルだった。

張さん「たぶんまずは直進だ!」
このメモでよくわかるよね!という感じである。

その後も張さんは、やれこっちだ、それあっちだと導いてくれたが、当然それらしきものは見つからない。
そのうち張さんは通行人に聞きまくるというローリング作戦に出た。

張「Excuse me!」

張「Hi, man!!」

私(頼む…!もっと静かに…もっと静かに声をかけてくれ…!)

同行している自分が恥ずかしくなるくらい大きな声で道行く人に話しかけまくり、「たぶんこっちだ!」とずんずん進んでいく。
張さんはハートが強い。なるほどこれが、中国経済が急成長を遂げる要因の一つなのかもしれない。

一人、向こうからやって来たアジア人の男性に張さんが話しかけた。

張「すみません、このバス停どこにあるかわかります?」

男性「オーストラリアに来たばかりなのでわかりません」

あなたも私たちと同じか!と思ったこの男性は韓国人のキムさんで、後日すぐ学校で再会して友達になったから、世間てのはどの国でも狭いものなんだなぁとしみじみ思う。

結局バス停は見つからず、その日は諦めて帰った。

翌日、姐さんと張さんとシーズーたちと夜の散歩がてら、バス停の確認に向かった。
家を出てすぐ右折した。
張さんの直感(というか地図読解力)は最初から違ったのだった。

姐さん「この大きい二車線の道路を、車に轢かれないように渡って!」
もっと安全な道を教えてくれ、と思いながら渡る。

姐さん「はいここがバス停!」

と言われて着いたのが、バス停の目印も何もないただの道路だった。
どうやらその何もない場所にこそ、バスが来るらしい。

張さん「は?」
完全に同意だよ、張さん…


なんとなく張さんが納得できていない様子のまま、散歩を続ける。
シーズーたちが何かに吠えた。
姐さんが「Stupid girls!(このバカ犬!)」
とさらに大きい声で吠えた。

少しだけ、留学が楽しみになった。
いよいよ学校が始まる。