テンプレの祈り

神でも仏でもない。前途多難で危険だらけの冒険に繰り出さんとしているわけでもない。ただの30歳の会社員だが、祈られている。ただの会社員だからか?求人に応募しても書類どころかWebの登録内容で選考落ち。末筆ながらに祈られている。

神でも仏でもないが、確かにこの世は前途多難だし、人生というものは危険がいっぱいの冒険と言えなくもない。そういう意味では祈っていただいてありがたいと思ったほうがいいのかもしれない。

シンプルに各社と私の需要と供給が不一致だっただけのはずなので、あまり気にしないようにしよう、と思っている。そうだそうだ、これは需要と共有のお話。それだけのはず。そうだ、私が悪いというわけではない。誰も私の人格否定をしていない。
だから切り替えてどんどん応募していこうと思っている。捨てる神あれば拾う神ありとも言うではないか。

が、やはり選考落ちというのは嬉しいものではない。少なくとも落ち込むには落ち込むし、人格否定されたわけではなくても少し自信喪失してしまう。食事をしながら選考結果を確認して、その瞬間は味だって感じなくなる。

もはや第二新卒の年齢もオーバーの30歳。目立つような実績も経歴も皆無。
どうやって自分を売り出せばいいのか悶々としている。

30過ぎて会社に教育してもらおうなんぞ甘い、というのが日本社会。
常に自己研鑽に励み、向上心をもって資格取得や新たなスキルを身に着けること、そして会社に貢献するのがよい会社員。というのが日本企業。

これについて考え始めると吐き気を催してしまう。
日本という国で評価される社会人の人物像を否定するわけではない。むしろ、そうだよね~と頷きが止まらない。

30過ぎて会社に教育してもらうことを前提に、知識も経験もない業界で初めての業務を、新卒ピチピチの若い子たちと同じスピード感で体得できるのかと言われても到底無理だし。
自分の仕事についてのアンテナを張らずに、仕事で扱う素材の話題にもついていけない人はおいて行かれるだろうし。やる気がなくて裏紙の仕分けくらいしかできない人は、絶対に会社のお荷物だ。

そう。だからこその理想の社会人像。
それにしても、理想、高くないか。ほんと、吐き気を催してしまう。

人畜無害で仕事が丁寧な人を選んだほうが、いいんじゃない?スキルとか経歴って、そんなに大事?あ?大事?そっか~…。

ちょっと具合悪くなってきたんでトイレ行ってきますね。


拝啓 仲秋の候、貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、心から感謝いたしております。

さて、応募先企業様より選考結果のご連絡をいただいておりますが、皆様から頂く素晴らしい定型文に、時に胸を痛め、時にはらはらと涙を流す日々を過ごしております。
つきましては、持ち合わせたスペックやスキルのみで選考のご判断をされるのではなく、何か別の切り口からアプローチいただけないかと思いご連絡差し上げた次第です。
ほんの提案ではございますが、ご一緒に脱出ゲーム等にご参加いただき、その状況下での対人態度や問題解決の姿勢をご覧いただくというのはいかがでしょうか。ご検討の程賜ります様宜しくお願い申し上げます。

末筆ながら貴社の一層のご発展をお祈り致しますとともに、今後もご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

敬具

捨てる神あれば拾う神あり。きっといつか私にぴったりの会社に出会える。
余計な心配をせずに楽しく働ける会社はきっとある。
大丈夫大丈夫大丈夫。

自分に言い聞かせながら、しかし今日一日で2社に祈られた私はそれなりに投げやりに、祈るのならば何かお供えをくれよ~、と偉そうにも神や仏側の気持ちになっている。