よく夢を見る。

単純に脳が前日の記憶を整理しているだけの夢も、物語性に富んだファンシーな夢も。これは夢かな、というものも。

日頃気に入らない相手に対して夢の中できっちり文句を言っていることがある。現実では言えないから、脳が疑似体験をしてストレスを解放しているのだろう。

人間関係で悩んでいた高校時代、悪魔のような女がスキー合宿でまた掻き回そうとしていた時は、まさにスキー場で泣き叫んでその人を拒否する夢を見た。本当に嫌だったのだろう。

心の声が夢の中で映像化され、それを受けて「私ってそう思ってるんだな」と理解する。実用的だ。

先輩の夢を見た。
関係に名前をつけず、互いに都合のいい存在だった。ダラダラとしていたが、ずいぶん前に連絡を取るのをやめた。

今までも何度か先輩の夢は見たことがあるが、連絡を取らなくなったのに今更気まずくて、顔も見られないし話すなんてもっての他だった。夢なのに。


今回は違った。私も先輩も笑っていた。「もう元に戻ろうとは思わない」「私も」と、爽やかに談笑していた。

夢の中で私と先輩は偶然に再会したらしかった。何かのイベントのようで、ホテルの大広間のようなところにいた。他にもたくさんの人がいて、それぞれが話をしていた。大広間の後ろの方で私たちは再会したらしい。その部屋の照明が明るかったのが印象的だ。

大広間の重くて大きい扉が開いて、知人が私を呼んだ。「それじゃ、私行きますね」と先輩に告げて、その場を離れた。


ようやく、何かが成仏した気がした。
私の何かのステージが変わった合図なのだろうか。大袈裟かな。


昨年、実家で飼っている2匹のうち1匹、愛犬が亡くなった。1年経とうとしてるのにまだ寂しい。17歳の大往生だった。

1ヶ月ほど経った頃、愛犬が私の寝ているところに来た。曖昧な意識のところに来た。姿は見えない。感覚だけだ。
夢かもしれないし、夢じゃないかもしれない。

寝ている私を踏まないよう器用に避けながら布団の上を歩いて来た。

上品に歩く犬だった。その愛犬の足の運びや、4本足に踏まれて凹んだ布団が肌に当たる感覚がリアルだ。膝を曲げて寝る私の足元に、愛犬がくるくると数回まわって丸くなった。

それは愛犬が若い頃によくやっていたことだ。そのせいで私は寝返りが打てなくなるのだけれど、それは世界で一番幸せなことだった。

愛犬だとすぐに気がついて、涙が止まらなくなった。
涙が出ると足元の感覚も無くなってしまったけれど、私は寝返りをうつことができなかった。


夢かもしれないが、この経験は事実だ。

実は、愛犬が歩いてくる直前、たくさんの人が私を踏まないようにしながら歩いて通りすぎて行く感覚もあった。


どこまでが夢か私には線引きできない。