心配くらいさせてよ

高校三年生、受験の年。冬。

地方の自称進学校あるあるだが、「受験は団体戦」で「国立大学合格」が正義で専門学校は悪である風潮の学校だった。(ひどい風潮である。)(いい専門学校たくさんあるぞ!!!)のほほんとした殊勝な女子高生ならともかく、普通の学生なら誰しもプレッシャーを抱え、ストレスがたまっていないわけが無かった。

私ももれなくそのうちの一人で、もう勉強に飽きていた。大学進学のための単なる手段としての勉強は何の興味も無く、この先の人生で明治の総理大臣を思い出すことも無い、と知っていた。総理大臣たちの苗字の頭文字をイクヤマイワイオヤイカサカサカなどと覚えるなんて、正直どうかしていると思っていた。でも仕方がない、受験生なのだから。しかも自称進学校の。受験勉強を止めるという選択肢は無いが、すでに全然覚えられなくなっているのにアップグレードを開く。勉強したくないのに、それはできない。覚える気よりも焦りだけが大きく膨れ上がっていた。どんなに問題集に赤シートを重ねても、「こんなにやってるのに」「何度も見てるのに」「できない」「わからない」のストレスだけが溜まっていった。

高校三年生、冬。祖母が結構な手術をすることになった。

夕食の場で両親からその説明を受けた。自宅から車で10分くらいの病院に入院すること、着替えを持って行くこと等を頼むと思う、ということ。

「私、受験生なのにね」

 

心無い言葉が出た。

 

受験勉強をする気がないなら率先して手伝って、それをうまい口実に勉強から離れられるのに、当時のひねくれはひどいものだった。祖母の心配をするわけでもなく、自分の時間を使わなければならないことにがっかりしたのだ。

もともと学校から帰ってすぐに自分の部屋にこもるような時間は無かった。家事手伝いをしていることが大半だったし、その日の夕食づくりを頼まれることが多かった。母親の帰宅を待つより早く食事を済ませて勉強したかったから、冷蔵庫に入っていた前日の残り物を並べて食べていたら、帰ってきた母親に叱られたこともあった。(いまだにあれはひどいと思う。そして忘れられないでいる)

 

そういう鬱屈した思いが積み重なって出てきたのがあの言葉だった。

私はどんなに勉強したくなくても、どんなにもその勉強に意味をなさなかったとしても、受験生として尊重してほしかったのかもしれない。

 

 

現在。私が高校生のときよりもずいぶん(姿も性格も)丸くなった母が手術することになった。頭に穴をあける。

超緊急、というわけではないし、手術しない場合でもすぐに命にかかわることはない。ただ身体機能の低下速度が速まるし、認知機能も落ちていきますね、日常生活が困難になりますね、まだ還暦前なので今後の人生を考えて今早いうちにやりましょう、ということらしい。

 

「お前は心配しなくていいから」と、父。「ばあちゃんとじいちゃんが心配してるから、あんたからも電話してやって」と母。(母の言う「ばあちゃん」とは、先述の祖母のことで、今誰よりも元気にしている。)

この時点で両親から私には手術の説明がなかった。診断名から検索した一般的な手術は、頭部の手術とは言え失敗例もほとんどなく術後の回復もめまぐるしいようだった。

そして入院。父から手術の詳細が記された書類の写真が送られてきた。内容は、検索した内容より大事で、「大変な手術です。」と父の所感が付け加えられていた。

どうせ私と同じ素人である父の所感だ。医師からしたら大したことのない内容かもしれない。我々は「全身麻酔7.5時間」「頭部切開」という見慣れない言葉にビビっている。

それだけだ。そう、手術の内容を読んで、いまさら私はビビった。

これを踏まえて「お前は心配しなくていいから」と言った父に、じわじわとイラついた。「ばあちゃんとじいちゃんが心配してるから、あんたからも電話してやって」と言った母にも、やっぱり変わらないなこの人は、と怒りと呆れを感じた。

 

二人とも、私の気持ちはどうでもいいのだ。

父の「心配しなくていいから」という言葉は一見すると気遣った言葉のようにも見えなくはないが、婉曲的に心配することを禁止している。父は、自分自身が感じる不安よりも、娘の私が不安そうにしている方によっぽど胸を痛める人だからだ。自分自身が傷つきたくないから、娘が心配しないように何も言わない。でもいざ母が入院して家に一人になったら、自分自身の不安も抱えきれなくなって、今更手術の詳細を見せて「大変な手術だ」と言う。

母本人の「ばあちゃんとじいちゃんが心配してるから、あんたからも電話してやって」も、無責任ではないか。私が電話して何になる。手術の内容を直前になってようやく聞かされてビビりまくっている私に。私から祖父母に「心配しないで」と言えということなのだろうか。その言葉を言っていいのは、心配しなくていいに値する根拠が述べられる医師だけだ。

家族は心配するしかない。なのにそれをするなと家族がいう。なんのため?お見舞いもできない今この時に、家族ができることの数少ないことが心配なのに。心配くらいさせてよ。心配することで、皆が皆それぞれ、誰よりも無事を祈っているのだから。