遭遇についての妄想

帰省の予定を立てる度、昔の恋人にばったり遭遇してしまうのではないかと無駄な心配をしてしまう。

例えば場所は大型ショッピングモール。昔の恋人はすでに別の人と結婚して子供がいて、家族で一緒にいるところに私は遭遇してしまう。

例えばその時私は一人で店内を見ていて、なんとなく視線を移すと、彼と目が合う。ああ、と短く驚いてすぐに、お久しぶりですお元気でしたかお子さんかわいらしいですねおいくつですか、とちゃんと言えるだろうかと心配している。

例えばその時私は自分の両親と一緒にいて、同じようにふるまえるだろうか、と。

例えばその時私は岡田くんと一緒にいて、短い挨拶の後、岡田くんに変に勘繰られないような説明ができるだろうかと。もしその時に左手薬指に輝く指輪なんかがあればさりげなく見せつけてやれるだろうかと。

悲しいかな実際のところ、見せつける指輪は無いし、岡田くんとは一緒に帰省する理由も予定も何もない。

 

もしも昔の恋人に遭遇してしまったとして、という心配は実にはかどる。その時の相手が私について様々な確認をしているところまで想像してしまう。

相手は、偶然に遭遇してしまった私のことを見て色々なことを考えるだろうということ。

例えば、その時私が一人で店内を見ているのか。他に誰かいないのか。例えば、左手に指輪があるか。結婚しているのか子供はいるのか。髪の長さは変わったか、化粧はしているか、服の趣味はどうか。例えば、あの時離れてよかったのかどうか。

 

私の脳内で昔の恋人は、ショッピングモールで子供を連れている。偶然に遭遇してしまった私を見たら、もしかして少しだけ私の都合よく後悔するのではないか。そんな心配と、実にくだらない、ほのかな期待をしている。

 

上京して7年目後半。これまで何度も帰省をしているが、一度も遭遇したことはない。昔の恋人どころか、仲の良かった友人たちとも出会わない。だから本当にしなくていい心配だ。というか、趣味の悪いただの妄想だ。認める。

ここまで書いておいて、本当は自分が遭遇したいだけでその裏返しではないか?とも思えるが、昔の恋人になんて遭遇したいはずがない。

遭遇してしまったら私の心臓は一度大きくゆっくり鼓動して、そこから急激にペースを上げる。口では、あ、どうもとかしか言えなくて、足早に買い物も切り上げてショッピングモールから退散するだろう。実に情けない。ケンカに負けた犬よりも尻尾を内側に巻いて逃げる。

遭遇したくない。でも遭遇してしまったらきっと惨めで情けない自分になってしまう。

だから帰省時に外出するときは、どこでばったり遭遇してもいいように、わりとしっかり化粧をし、服装にも気を付けている。

会いたくないのに、会ってしまってもいいようにするというダブルスタンダード。逃げずにすむ自分でいたい。あわよくば昔よりもいい女に見られたいのだ。特に昔なんやかんやあった人には。

男性諸君、これが乙女心だ。違うか。