手帳

初めての手帳は小学生に上がるか上がらないかくらいの時、大人の真似をしたくて買ってもらった。赤のシステム手帳。おそらく何かを書き込む用紙ではない厚紙のところに、覚えたばかりのひらがなで「いちごだいふくのつくりかた」とボールペンで書いてある。母親とイチゴ大福を作ったあと、作り方を聞きながら書いたのだろう。しっかりと書かれた作り方のその最後は、「できあがる♡」としめくくられてる。

 

日常的に手帳を使うようになったのは大学に入ったころからだった。それから1年ごとに新調しており、捨てずにしまわれていくそれらは10冊以上になる。

4月はじまりの手帳を選んでいるのも、学生の頃から使い始めたからだったと思う。4月から新学期が始まるライフスタイルにすっかり慣れてしまった。

学生時代は授業で出される課題やその締め切りをメモし、学校行事やバイト、遊びの予定を書き込んでいた。映画のチケットやどこかへ行った記念の半券を貼ったりもした。

社会人になると、仕事の予定はメーラーのスケジュールやら卓上カレンダーに書き込んでおり、手帳に書くことはかなり減った。何も予定が無い月は、ただ生理があった日が規則正しく〇で囲まれているだけだった。

 

新しい手帳を買うとき、次の4月から始まる1年はどんな年にしようかといつも慎重になった。

ある年は、ベビーピンクの表紙の手帳を買った。同じ講義をとっていた、とても美人でかわいらしい友人の手帳が薄いピンクの手帳だったのを見て、ひそかにあこがれていたのだ。さらに「ピンクの小物を身に着けると女性らしくなれる」という、エビデンスもくそもないような言葉に踊らされてもいた。モテたかったわけではない。が、かなり彼氏が欲しかった二十歳前後の私は、手帳の表紙の色だけで何かが大きく変わることは無いと知っていながら、これからの1年に期待していた。

その年、意外なことに念願だった彼氏ができた。

が。 彼氏ってのは念願だったわりにこんなものなのかと違和感が止まらなくなり、あっさりと関係解消となった。

「次の4月からは自分らしくいたい」と思った。そもそもベビーピンクの手帳を持つタイプの人間ではない。ピンクの手帳を持っていた美人でかわいい友人も、もはやピンクの手帳なんて使っていなかった。私は私が好きなものを使おう。そう決めて今度は黒とか濃いめのブラウンの手帳を使うようになった。ワンポイントで金色でフクロウのシルエットが付いていたり、洋封筒のようなデザインのものもあった。好きなものを使っている方が、違和感のない分よっぽど心地よかった。

そうして毎年1冊ずつ、使い終わった手帳が増えていく。私のバックナンバーができていくような感覚で、また1年無事に使い終えた満足感もある。それがあるからか、手帳を使う習慣がなんとなく続いている。

 

毎年毎年手帳を選んでいると、だんだんと手帳選びに飽きてくる。店頭に置かれた手帳の表紙デザインは毎年どれも同じようなものだし、だからと言ってリフィルタイプを使うとバックナンバーとして残しづらい。1年分を1冊に、その年選んだ手帳で残したいと思っていたが、最近では「もう100円ショップのでよくないか?」と天啓があった。あった、っつーか、自棄だった。

月間予定のページと、あとはノートタイプのページがあればいい。うん。100円ので十分じゃないか。十分だな。表紙も別に、お気に入りの一冊じゃなくても。変じゃなければ。

そうして100円の手帳を使い終わった翌年、「100円で十分だな」と結論がでた。そして「月間予定のページもべつにいらないな」「手帳のサイズのノートでいいな」と新たな天啓があった。あった、っつーか、こだわりがなくなってきた。

「1年に1冊残さなくてもいいな」との思し召しすらあった。あった、っつーか、飽きてきたのかもしれない。

 

そんなこんなで今、私が使っているスケジュール帳は、厳密に言えばスケジュール帳ではなくて、100円ショップで売っていた文庫サイズのノートである。そしてすでに2年くらい使っているが、まだまだ半分も終わらない。途方もなくて今、ちょっと後悔。

次の4月からはまた新しくしようかと思う。

 

今週のお題はてな手帳出し