手紙~拝啓 顔合わせの両親へ~

両親に向けて手紙を書くというミッションがある。締め切りは2週間後。

結婚は家同士のもの、とは昔から言われている言葉ではあるが、確かにそうだなと思うことがある。何かしらのイベントごとには、そこに参加する全員のスケジュールを調整しなくてはならない。さらにそれぞれが遠方に住んでいる場合は開催地はどこにするか、交通手段はどうするのか、など考えることがどんどん増えていく。二人だけではこうはいかない。家同士。人数が増えれば増えるだけ決定事項が増えていく。

結婚の教科書ゼクシィに書いてある通り、結婚が決まったらそれぞれの両親に挨拶に行って、両家顔合わせをして、結婚指輪の購入、婚姻届けの提出、挙式をして~、などと諸々順序を守ってると一生入籍できない気がしてしまった。気が遠くなる。一つ一つ丁寧にやっていく場合とそうでない場合で、何か決定的な差はあるのか。前者にアドバンテージがあるなんて聞いたことがない。順番どうこう言ってる間に結婚できるならそのときしとけばよくなぁい?時間が経てば経つほどどうでもよくなる。半ばやけくそ。

幸いにして両家ともに順番が大事だとか言ってくるような、形式や伝統を重んじるような人がいなかった。いたのかもしれないが、そんな声は上がってこなかった。

と言うことで、先に結婚した。しといてよかった。していなかったらこの精神的な安定は無かったと思う。

入籍して4か月経ってようやく、先延ばしにしていた両家顔合わせの食事会を行う。

一応、新郎側の両親が新婦の方を訪れて結婚の挨拶をするべき、なんて世間的な何かはあるらしく、夫の父は気にしてはいたようだが、旅行がしたい私の両親が夫の地元に赴いて開催することになった。私の両親は旅行ができるし、夫の両親は地元だから楽だし、それでいい。良しとしてくれ。

結婚式をしないので、顔合わせではあるが結婚のお祝いの席という位置づけにした。結婚式ではないけれど、ちょっとそれっぽいパーティーみたいにしたい。写真を撮って、コース料理で、大きいケーキを切って、互いの親に向けた手紙を添えて記念品贈呈。親同士が初対面にも関わらず、そんな企てがダダ滑りに終わらないかと言うことだけが一抹の不安ではある。

親に向けての手紙。グーグルで検索すればよく結婚式で聞くようなテンプレートが出てくる。前置き、父母それぞれとのエピソード。これからの決意で締める。こんな感じ。「お母さん。お母さんは、私が学生の頃から学校での出来事や悩みなど、何でも話せる親友みたいな存在です。」みたいな。「お父さん。お父さんは仕事で疲れているにもかかわらず、休みの日には私たちきょうだいをよく色々なところへ連れて行ってくれました。」的な。

こじらせ30代の私だけでしょうか。両親と自分にフォーカスした記憶で、これがありがたかったとかいう特別なエピソードがパッと出てこない。きっと、絶対あるはずなのだ。けれども記憶力の低下と言うか、記憶の引き出しが開かないというか、どこにその記憶があるんだっけと、しまった場所を忘れた。日々家事に追われ、帰宅してから一番効率のいい炊事洗濯の動線を計算しながら生活していると、記憶の蓋は重くさび付きどこに置いたか忘れてしまうのだなぁ。う~んしみじみ。

しみじみしている場合ではない。あと2週間で清書まで仕上げなくてはならない。

「お父さんお母さん、今日までの約33年間、育ててくれてありがとう。私たちきょうだいがやりたいことを自由にできるように、毎日忙しく共働きで家族を支えてくれましたね。私も家事に積極的に参加したつもり。覚えていますか?雪の積もる冬の早朝、中学生の私はまだ誰も起きてこない朝5時前に起きて愛犬たちの散歩に行きました。帰ってきたら洗濯を干してから学校へ行きました。学校から帰ってきたらまた犬の散歩に行って、夕食をテーブルに並べて、すぐに食べられるように準備していました。」

 

いやいやいやいや、自分語りすぎる。

 

「お父さんは一時期、土日の昼ご飯づくりをしてくれていましたね。いつも麺類でした。実は私は家で食べる麺類がそこまで好きではありませんでした。当時喜ばなくてごめん。」

 

いやいやいやいや、今更のカミングアウト。

手紙、むずい。最悪、チャットGPTにヒントをもらうこともできる。なんなら代筆も頼める時代。いやさすがにそれはしないけど。

しないけど。